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長嶋有 / 僕は落ち着きがない

書店でこの本を見かけた時、帯にはこんな一文が引用されていた。

人って、生きにくいものだ。
みんなみんな、本当の気持ちを言っているのかな?

あとは、「文化系“部室小説”の誕生!」というアオリ、そして『僕は落ち着きがない』というタイトル。
一気に興味を惹かれて、買ってしまった。(小説のジャケ買いなんて生まれて初めてだった)
この本が、私が長嶋有に興味をもったきっかけとなった(つまり読了したのは、『猛スピードで母は』や『ジャージの二人』よりこっちが先だった)。

帯の問いかけに答えが出せないように、この小説自体にも、明確な答え(というか、問いかけ)はないように思える。
物語を追いかけているというよりは、文化系の高校生達が学校生活を送るという、その空気自体を楽しむような、そんな感覚で読み進めていた。

いや、一応、事件とかも起こる。だけどそれも含めて、自分自身が少年だったころに感じていたであろう空気……つまり楽しさや期待や不安や、そういったものに置き換えて感じられた。高校生当時に言葉にならなかったいろんな想いとか経験とかが、この本の中で文章として詰まっているような錯覚を覚えるのだ。

主人公達の日常に「あるある」と思ったり、主人公の望美がそっと胸の内(=地の文)で考えたり感じていることに共感したり、そういうことができれば、この小説は特別なものになるだろう。逆にいえば、その辺共有できないと、この小説を読んでも面白さはピンとこないのかもしれない。

ちょっとだけネタバレになるけど、望美はきっと自分のことを、冷静に周りを観察して色々なことを考えて慎重に行動している人間、とでも思っていたことだろう。でも実はそんな彼女は、傍から見ていたら、いつもキョロキョロしていて、ふわふわ動き回って、ユニークな意見をいう、そんな面白い少女に見えていたんじゃないだろうか。
「僕は落ち着きがない」とはそういうことなんじゃないかな、と。

「うるせえ、俺はおまえが嫌いだ!」

そんな理不尽な啖呵を切ってでも守りたい場所が、あるだろうか。
幸い、自分にはある。

「皆、誰かに期待なんかしないで、皆、勝手に生きててよ」

それはとても難しいことだと、思った。

ぼくは落ち着きがない

長嶋有 / 猛スピードで母は

この長嶋有という作家さんの物語は、すごく独特の空気が流れていて、不思議な気持ちになる。

この小説は栄えある芥川賞受賞作だけど、正直なところ自分は芥川賞にはもうなんか勝手にネガティブなイメージを持っていた。けど、たまには(?)こんないい小説も受賞しているんだな、なんて思ったり。

長嶋氏の物語に登場する主人公は、たいてい、変わった人生を送っている(あるいは、送ってきた)。
この本には、『サイドカーに犬』と、表題作『猛スピードで母は』の二作が収められているが、主人公は、それぞれ中学生の少年と、小学生の少女。
そして、同性の親が不在の状況で物語が始まる。

そこには、驚くべきハプニングや感動のストーリーはあんまりなくて、年の割にやたら冷静な少年少女が、現実を淡々と受け止めているような描写が続く。
が、まあまあ平凡(で幸せ)な人生を送ってきた自分にとっては、この“違和感のない非日常”、あるいは“未体験の日常”とでも言えばいいのだろうか、どっちの表現がよいかわからないけど、とにかくそんな主人公たちの人生を追体験しているようなこの小説に、無性に引き込まれるのだ。

自分のついた些細な嘘を忘れてぽかんとしてしまう瞬間。
これまで重くのしかかっていたものが、なんでもないものに変わる瞬間。
そんな心の機微が、リアルに伝わってくる。
たとえ物語の中でどんでん返しか起きなくても、それだけで伝わる「なにか」ってあるんだなぁと感じた。

猛スピードで母は (文春文庫)

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